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奈良地方裁判所 昭和55年(ワ)274号 判決

原告 松川英子 ほか二名

被告 国

代理人 松本有 西谷仁孝 石田俊雄

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告各自に対し、それぞれ六、六六六、六六六円宛及びこれに対する昭和五四年六月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張<略>

理由

一  本件事故の状況

1  亡儀雄が昭和五四年六月五日午後二時二〇分ころ、奈良県北葛城郡新庄町笛吹一二番地先路上において、訴外高松所有の事故車と道路端の同人方居宅の門柱との間にはさまれて強く胸等を打ち、肺挫傷により死亡したことは当事者間に争いがない。

2  <証拠略>ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、右事故が生ずるに至つた状況は次のとおりである。

(1)  訴外高松は事故車のポインターが悪くなり、さらにエンジンの発火部分が故障するようになつて事故車が動かなくなつたため、これを廃車してスクラツプにすることに決め、自動車屋に同車を引き渡すため、昭和五四年六月三日午後六時ころから同車を自宅前の東西方向の幅員五ないし六メートルの道路北側端に前輪を西方に向けて駐車させていたが、右道路は東方から西方に向け勾配率一〇〇分の六程度の上り坂となつていたため、同人は事故車が駐車中に自然に動き出すことのないよう右駐車の際には事故車のサイドブレーキを作動させるとともに、ギアーをローに入れ、更に事故車の両後輪に車止めの石を置いて、坂道の下に向かつて後退するのを防止するための措置を講じておいた。

(2)  亡儀雄は事故当日、自分の自動車を運転して、訴外高松の自宅前にある池へ釣りに来ていたもので、事故発生場所の坂道に右のように駐車してあつた事故車の西側直近に自車を前部を東、すなわち事故車の方に向けて駐車させておいた。そして帰路に就くべく自車を発進させようとしたが、おそらく路面のその部分に砂利が敷かれていたために車輪が空転して後退できなかつたものか、自車を前進して発進させようとした。しかし、事故車が障害となつて前進できなかつたため、事故車を移動させようとして前記のように同車の後輪にあててあつた車止めの石を取り除いた。すると、急に事故車が予期せぬ速度で坂道下方に向かつて後退をはじめたため、亡儀雄は逃げる機会を失つてそのまま事故車に押され、訴外高松宅の玄関門柱と事故車との間にはさまれ、その結果前記のよう傷害を受けて、それが原因で死亡するに至つたものである。

二  訴外高松の賠償責任の有無

1  訴外高松の運行供用者たる地位の有無

訴外高松が事故車の所有者であつたことは当事者間に争いがないが、被告は亡儀雄が事故車の操作を開始した時点で、訴外高松は同車についての運行支配及び運行利益を失い、運行供用者としての地位を喪失したと主張するので、以下この点について判断する。

前記認定の本件事故の状況から明らかなように、本件事故の際、事故車に直接手を触れたのは亡儀雄だけであり、そのほかには誰も関与した者はいない。証人高松一の証言によれば、事故車の所有者である訴外高松は、事故が起きたときには、自宅敷地内の工場で作業中であつたものであり、事故の際の事故車の走行自体には全く関係がない。亡儀雄のほかは目撃者も全くないため、そのときの亡儀雄の行動は事故の客観的状況から推測するほかはないが、前述のように訴外高松が駐車の際に後輪にあててあつた車止めの石を外したのが亡儀雄であることは明らかであり、それは右認定のとおり事故車が自分の自動車の発進の障害になつていたため、事故車を自車の発進の妨げとならないところまで移動させようとしたものと推認される。そのような場合、持主や運転者がその場に居合わせたならば、当然その者らに頼んでその者らによつて車を移動させてもらうべきところであるが、本件事故の際には誰もいなかつたため、亡儀雄が自ら移動させようとしたものであり、訴外高松もそのような状況ならば事故車を移動させることを承諾したであろうと予想されるので、無断であつたとはいえ訴外高松の意思に反するものとはいえない。しかも移動しようとした距離は自車が発進できるのに必要なだけの短い距離で、移動に要する時間も僅かであり、持主の手を煩す労を省き、代つて自ら移動させようとしたとも見ることができるので、その移動が亡儀雄による事故車の運行となるにしても、時間的、距離的に極めて僅かな、いわばその場だけのことであり、前述のような客観的状況や移動させようとした目的などの事情を総合して考えれば、事故の際の亡儀雄による事故車の移動については、所有者、すなわち本来の運行供用者である訴外高松の容認のもとになされたものと見ることが可能である。そうすると、事故時の具体的運行について亡儀雄がその主体であつたとしても、この程度の運行支配によつては、事故車が本来の運行供用者である訴外高松の運行支配から離脱し、代つて亡儀雄が排他的な運行支配をもつに至つたと認めることはできないから、右のような事情の下では、いまだ訴外高松の事故車に対する運行支配及び運行利益は失われたとはいえず、訴外高松は事故車の運行供用者たる地位を喪失していないものというべきである。従つて、この点に関する被告の主張は容れることができない。

2  亡儀雄の他人性の有無

次に、被告は亡儀雄は自賠法三条にいう他人に該当しないと主張するので、その当否について検討する。

自賠法三条の「他人」とは、当該事故自動車の運行供用者および運転者を除くそれ以外の者である(最高裁昭和三七年一二月一四日判決、民集一六巻一二号二四〇七頁。最高裁昭和四七年五月三〇日判決、民集二六巻四号八九八頁)。

本件の事故の場合、事故車は前述のように約一八・六メートルの距離を後進したものであるが、それは通常の運転走行ではなくて、もともと故障車で原動機による自力走行のできない車であり、車内に人が乗つて操縦したものでもなく、下りの坂をいわば自然発進のような形で動き出したものである。そして、そのように動き出したのは、亡儀雄が自分の自動車の発進に妨げにならないように事故車を移動させようとして、事故車の車止めの石を取り除いたために、急に事故車が後退してきたものであり、そのような形での事故車の走行は、亡儀雄としても予期しないところであつたと思われる。事故発生時には事故車はサイドブレーキがかかつておらず、ギアもニユートラルの状態であり、また車体外面には亡儀雄の掌紋があるが、車内には同人の指紋が検出されていないため、同人が車内の操縦装置を操作したとも思われないし、サイドブレーキーを外したり、ギアーをニユートラルにしたのが同人であるかどうかも不明であり、同人がどのようなつもりで車止めの石を外したかはわからない。しかし、少くとも車止めの石を外したのは車を移動させる意図であつたことは疑のないところであるから、同人が予期しない形で自然発進し、結果的には、同人の意図に反する走行になつてしまつたものではあるが、その事故車の走行は同人の意思にもとづくものであり、車止めを外すことによつて事故車を操作し、それによつて事故車が走行したものといわなければならない。

自賠法二条二項の「運行」は、自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいうとされているが、原動機の動力による走行に限定されるものではなく、自動車の構造上設備されている操向、制動、その他の走行装置の全部または一部をその目的に従い操作する場合、更にはそのような走行装置により位置の移動を伴う走行状態におく場合だけでなく、当該自動車の固有の装置をその目的に従つて操作する場合を含むものと解すべきである(最高裁昭和四三年一〇月八日判決、民集二二巻一〇号二一二五頁。最高裁昭和五二年一一月二四日判決、民集三一巻六号九一八頁)から、本件の場合の事故車の後進移動も自賠法上の運行にあたることは明らかであり、その事故の際の具体的運行が亡儀雄が事故車を操作したことによるものである以上、同人は運行供用者か、さもなくば運転者であり、いずれにしても、自賠法上の「他人」にはあたらないものというべきである。本件の場合、亡儀雄が事故車を移動させようとしたのは極めて僅かな時間と距離に限られてはいるが、少くともその間は事故車は亡儀雄の支配内にあり、しかも、その移動の目的が自車の発進の障害の除去のためであるから、自己のために事故車を運行の用に供したものということになる。従つて、亡儀雄は事故車の車止めの石を取り除いた時点で、事故車につき運行支配と運行利益をもつたことになるから、同人は自賠法上の運行供用者であると認めるべきである。

そうすると、本件の場合前述のように訴外高松も運行供用者であるから、複数の運行供用者がいることになる。

このように、事故車につき複数の運行供用者が存在する場合、その一方が被害者になつたとき、他の運行供用者との関係では、運行供用者であることによつて常に他人性を否定されるとは限らず、その具体的運行に対する支配の程度態様において被害者のそれが直接的、顕在的、具体的であるときはその被害者は他の運行供用者に対し自賠法三条の「他人」であることを主張することは許されないと解すべきである(最高裁昭和五〇年一一月四日判決、民集二九巻一〇号一五〇一頁)が、そうであるとしても、本件事故における事故車の運行については訴外高松の運行支配が間接的、潜在的、抽象的であるのに対し、亡儀雄のそれははるかに直接的、顕在的、具体的であるというべきであるから、亡儀雄は自賠法三条にいう「他人」であることを主張することはできないものといわなければならない。

三  原告の請求の当否

以上の理由により、亡儀雄は事故車の運行供用者であつて、自賠法三条の「他人」にはあたらないから、その余の点について判断するまでもなく、同人は自賠法三条による損害賠償請求する権利を有しないことになり、同人の相続人らである原告としても、被告に対し、同法七二条による損害てん補請求権を有しないことになる。従つて、原告らの請求は理由がないから、失当である。

四  結論

以上のとおり、原告らの本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋史朗)

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